お題:『傷』
おはようからおやすみまで
「いて」
台所から練牙が声を発するのと添がそばに来るのはほぼ同時だった。
「どうしました」
「あ、えと……包丁で、指」
「あらら」
モニョモニョと説明している間に添は指の消毒をしくるりと絆創膏を貼る。
「はい、気をつけなきゃダメですよー」
「早っ! あ、ありがとな」
「いーえ」
そう言うと後ろ手にヒラヒラと手を振り、またクッションにころんと転がる。
――『|西園練牙《レン》』が|キバ《西園練牙》に名を返した後、|練牙《レン》は小さなアパートを借り、慎ましく過ごしていた。
貸主は可不可だった。彼をはじめHAMAツアーズの面々誰もが練牙がいなくなることを良しとせず、練牙も口ではあっさり手放すような事を言いながらも結局寂しそうな子犬の目をしていたため、
『じゃあ僕が練牙の住む家を探してあげる。どんな所がいいか教えてよ。練牙の理想が詰まった家にしよう』
そんな社長の鶴の一声で練牙の次の住まいはあっさり決められた。他の面々も気兼ねなく遊びに来れるそこは、まるでHAMAハウスの分室のようになっている。
そんな練牙がHAMAハウスを引き上げる準備をしている時に、虎部屋に戻ってきた叢雲は特に引き止めるでもなく、
「練牙さん、引越し手伝いますよ」
そう言って淡々と引き上げ準備を手伝い、
「ここまで来たんだから荷解きもやりますって」
当たり前のように引越しを手伝い、家飲みやらなんやらでずるずるとアパートに入り浸り、
「練牙さーん、今日のご飯なにー?」
「焼きそば! こないだ雪風に教わったんだ!」
今に至る。
「(色々あったけど……)」
HAMAツアーズの面々が訪れ、添もよく来てくれて。
「幸せだ……」
そう口に出すと、飴玉が転がるような甘さが心に広がっていく。
「へへ」
練牙……レンは笑って、夕飯の支度をすすめていった。
◇
星も月も見えない、曇天の夜。
叢雲は硬質な電子音を手に取った。
「はーい、お疲れ様でーす」
『そちらはどうだ』
電話の主に叢雲は薄く笑う。
「今日も一日、平和そのものでしたよ。凪がバイクエンストさせて押して帰ったくらいですかね」
『馬鹿に気づかれてはいないだろうな』
「そんなヘマしませんよ。オレを誰だと思ってるんです?」
電話向こうから息を吐くような微笑。信頼の証だと叢雲は受け取った。
「あ、ちょっと立て込むんでまた後でかけますねー。んじゃ」
『ああ』
端末をポケットに放り込んで肩と首を回してこきりと鳴らす。
「――で? 今日はアンタらがあの人のストーカーなんだ。懲りないねーどうも」
背を低く、アスファルトを蹴り初速で懐に入る。相手が慌てて動きを作る前に手の筋にナイフを走らせ、痛みに気を取られた所で頭を掴んでそのまま地面となかよくさせて脳震盪。ナイフを構えて慌てて向かってきたもう一人にはキックを脳天一発、鳩尾に一発入れてよろけた所を締め上げて気絶。
「あの人はね、カタギなの。偶然キバと似てて偶然ほんのちょっとナカヨシで、偶然オレみたいなやつと表の仕事で付き合って偶然友だちになって、偶然鹿茸一家のナンバーツーと家ぐるみの関係があるだけで、お前らを脅かすよーな後暗い所なんもないんだって。
……って、オレこれ何度説明すればいいの? お前らも上の人からお聞きでないわけ?」
地面に伏せたものどもにブツクサと文句を言いながら、叢雲は苛立ちを隠さず腹や向こう脛等を蹴り続ける。
「……そ、そんな都合のぐぁ!」
叢雲は傷口を踏みにじり黙らせ、練牙やHAMAツアーズの面々にはけして見せない酷薄な笑みを浮かべ、椅子にする。
「て思うじゃん。こんなに偶然が重なる訳ないだろって。……でも、あるんだなーこれが」
だからさ。
「――オレに殴られてるだけのうちに、あの人から手引いてね。これ以上しつこくすると、もっとこわーいお節介な方々が出てきちゃうよ」
「……っ、黙れ……! こっちだって」
「死ね! 薄汚い烏が!」
もう一人が銃を向けると同時に椅子の男から跳躍、ムーンサルト。
「冗談」
そのまま銃を持った男の頭を脚で挟み、
「そっちがね」
ごきり、と嫌な音をさせて捻りあげた。
欠け月の光が叢雲と地面に付した一人と、人間だったものひとつを照らしあげる。
「……わかった? あんましつこくすると、アンタも『こう』だから。いい加減ちゃんと伝えてねーよろしくー」
『笑み』という表情だけを付けて生きている方の髪をぐしゃぐしゃと撫で、叢雲はそのまま振り返らずに去った。
◇
「あれ、添ケガしたのか?」
「え?」
今日も今日で練牙のアパートに転がり込み、冷たい麦茶を飲んでいる添の指先を練牙はそ、となぞる。
「ここ。バンソーコー貼ってる……」
「あー、こないだ魚捌いてたらちょっとしくっちゃって。魚の骨が変に尖ってて刺さっちゃった」
「え! だ、大丈夫か?」
「ええ、ちゃんと消毒もしましたし、問題なし」
心配そうな顔に叢雲は柔らかく微笑み、
「ほら、こーしてもなーんも痛くない」
「むぇ!」
頬を掴んだ。そのまま上下にシェイク。
「む~! ひぇん~!」
「ははっ。変な顔」
「ひぇんなふぁおにひひぇんのひぇんひゃろ~!!」
「何言ってるかわかんないですよー」
「むぇ~~~!!」
眉を上げたり下げたりコロコロ変わる表情を見、叢雲は『日常』のぬくもりと眩しさに目を細める。
「(この人を困らせるのは、オレだけ)」
――誰にも傷ませない。傷一つ付けさせない。
「(結局、オレも馬鹿になっちゃったけど)」
そんな『馬鹿』な日常がいとおしいんだから、しょうがない。
「……はは、っ」
「むえ~!!」
そんな生活の愉快さに叢雲は満足げに笑い、練牙が今日夕食なしにしちゃうぞ! と怒るまで、存分に頬で遊んだ。

