2026/09/13のTOKYO FES Sep.にて無料配布したSSです。
目が覚めると、添は物音ひとつしない部屋に転がされていた。荒縄でぐるぐる巻き、足も腕も動かないようしっかりと固められている。
「(目隠しと猿轡までしちゃって。ご丁寧なことで)」
寝る前に着替えたはずの部屋着は何故かシゴト着になっていて、靴、手袋、マスクまで装着済。マスクの上から猿轡してるって事……? と疑問に思いながら、まあシゴトの夢でも見ているんだろうと軽く身動ぎしたところ感覚がしっかりあり、どうやら夢ではないらしいなとため息。
寝る前の添は夜間のシゴトを終えた後セーフハウスでざっとシャワーを浴びて汚れを落とし、HAMAハウスで雪風が用意していた夜食を食べてから改めて風呂に入り、部屋に戻ってふたりと一匹を起こさないよう着替え、ベッドに入ったはずだった。何故こんな状況に陥っているのか。添は頭を回しながら身動ぎし、幾つかの関節を外して縄から抜けた。関節を元に戻してから目隠しと猿轡をむしり取り、縛られて固まっていた体の凝りをほしながら周囲を観察する。
「(このオレが気絶させられてしかも誘拐までされるなんてね)」
戻った後のことを思うと気が重くなるが、だからといってこのままわけの分からない部屋に居続けたいといえば当然否。
「さっさと抜け出しますか」
近くに放り出されていた帽子を目深にかぶって、添は部屋を歩き出した。
◇
数分歩いてわかったことは、ここは相当古い建物で、ある程度人の手が入っている、ということであった。一面ヤニ焼けしているかのように黄色い室内を古びた蛍光灯がチラチラとまたたき、業務用の空調が唸りながら羽を広げては閉じて空間温度を一定に保っている。添が試しにライターを点けても警報が鳴らないことからこの階層もしくは部屋には火災報知器がないことも伺えた。
「(え、この時代に……? まあ、悠々と吸えて有難い限り)」
シゴト中であるならば臭いがつくようなタバコを吸う事など有り得ないが、軽く見回したところ窓はなく、つまり烏にせっつかれる事もない。添は懐からタバコを取り出し遠慮なく火をつけた。
「(人の気配なしと)」
この格好で歩き回るのには助かるが、出口も窓も見当たらないのはそれはそれで面倒だ。当てどもなくただ歩いても体力を消耗するだけ。さっさと帰りたい添からすると、この無味乾燥な部屋にも何かしらの変化が欲しいところだった。
「お」
二本目のタバコが短くなり、そろそろ一発壁に蹴りでも入れてみるかと不穏な考えが浮かび始めたタイミングで、添の目に新しいものが映った。
それはどんな建造物にも必ずある、安全への証左。緑色の四角いランプには今にも外へ駆け出さんとするピクトグラム。その下の灰白色のドアには銀の取手が蛍光灯の反射で鈍く輝き、サムターンには防犯用の透明なプラスチックのケースがはまり、この非常口がほとんど使われていないことを証明する。それは翻ってここでこの扉を使うような事故や事件がなかった、ひいては安全であるということでもあるが、
「(いや、外に出たいんだって)」
添は迷わず鍵を固定しているプラスチックを壊してサムターンを回した。扉の向こうからも特に気配は感じられない。添は取手を握ってゆっくり押し下げ、警戒をしながらするり、と非常口の向こうへ入った。
◇
「………へー。そういう感じ」
扉の向こうには今までとなんら変わらない無味乾燥な黄色い風景が広がっていた。添はその光景に嘆息しながらまたタバコに火をつける。
「(なんだっけ、イマーシブ? そういう謎解きイベントがあるって聞いたことはあるけどさ)」
maholovaが登場してから現実世界での没入型イベントは一時期より鳴りを潜めたものの、現実世界でしか味わえない没入感がある、と再び盛り上がりを見せている。
「没入したら帰らないとだめでしょ」
吸い殻をポケットから取り出した携帯灰皿に放り込み添は再び足を進める。繰り返し現れる柱、窓ひとつない黄色い壁、一定間隔で天井に付けられている照明。常人ならそろそろ気が触れてくる頃だ。
「目に優しい色ですこと」
後ろを振り向くと、自分が入ってきた非常口が部屋の中で存在感を見せている。次に何かしらの変化が現れるのはいつなのだろうか。そもそもここに出口なんてあるのか。
「(今のところ確信はないかなー。どちらの意味でも)」
こういう時に先のことを考えすぎるのも毒だ。添は絡まり始めた思考を振り切るためにあらためて前を向き、何もない部屋の中に進んでいった。
◇
「何この……何?」
変化のない空間をただ進んでいた添の目の前に、突如デザイナーチェアが粗雑に積み上げられたオブジェが現れた。転がっている椅子や打ち捨てられたように端に放り出されたものもあるが、部屋に争った跡も物を引きずったような跡も、人が作った痕跡がそもそもない。はるか遠くになった非常口を思い出しても普通のドアサイズであったし、これだけの量の椅子が元々あったとしてもそれなりの労力は必要なはず。
「(つーかこんなもん運び込めるような搬入口なんて無かったけどね。この先にあるってんなら願ったり叶ったりだけど)」
添は椅子の群れに目をチラと向けそのまま通り過ぎようとする。
「ん?」
その時、ふと気づいた。確かにこの椅子達は積み上げられているのだが、
「……えー」
ーーそれらは全て、天井から積まれていた。
十数脚の椅子は崩れる様子もなくしっかりと立脚し、下へ下へと積み下げられていたのだ。そして、この部屋のどこにもワイヤー等の固定具は存在しない。そこにそのようにあるのが当然かのように、椅子の塊は鎮座していた。
「ホログラム……でもないよねー」
あまり深く考えない方が良さそうではあるが、目に入った以上どうしても奇妙なモノとして頭の片隅に居座る。添は近くの柱へ歩み寄り、軽く床を蹴る。
「よ、っと」
柱に足をかけようとするが、特に変わりなく、いつも通り重力に引かれて着地した。
「オレは適用外ってこと」
確かに床を歩いてきはしてきたが、ならばこの椅子は何なのか。疑問を無為に濃くしてしまった自分にため息ひとつ。添は椅子の群れに踵を返しまた無味乾燥な黄色い空間へ足を向けた。

