浮生若夢

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「お疲れ様でーす」
つまみを手にした叢雲の声に軽く手を上げる。
「見事な満月ですね〜。晴れて良かった良かった」
「ああ、月見酒には丁度いい」
「ですね〜。……って空じゃないですか。」
隣に腰掛けた叢雲が手元を覗き込むと、そのまま徳利を取る。
「はい、どーぞ」
「………」
「うわすごい顔。なんですか、何も入れてませんよ。つかオレがお酌するのそんなに珍しいです?」
「入れられてたまるか。だいたいてめえはわざわざロクでもない話を聞かせる時に酌をしてくるだろう」
やだなあ気のせいですよ〜とへらりと笑い酒を注ぐ。
顰め面で次がれた酒を見れば、ゆらゆらと月が映る。
「で、話とは?」
「オレは単に犬の話をしに来ただけです」
「そうか、つまみだけ置いて帰れ。明日は大学もないだろう、ゆっくり休むといい。」
「こんな棒読みで心配されることあるんだ。まだ口もつけてないんですけど?」
「黙れ。どうせてめえと犬の散歩報告だろうが」
「せいかーい。さっすが礼光さん」
眼前にスマートフォンが突きつけられる。
画面の中には、しゅうまいと駆け、しゅうまいに顔を埋め、戯れ、緩みきった顔をした馬鹿。周りに他の犬も多い。ドッグランだろうか。
「………。……猪口を出せ。」
「あ、いただきまーす。いやあ話が早くて助かっちゃうな〜」
わー好みの辛口だあと無邪気そうに喜び舌鼓を打つ。叢雲を追いかける女達はこういう風に見せる面にコロリと騙されたんだろう、と冷めた目で見やる。
「何が目的だ。」
「決まってるじゃないですか。トレードですよ」
ヘラヘラと笑う顔の目の奥があまりに自然に裏の色を映す。
「ねえ礼光さん。……持ってますよね?」
「……ふん」
呆れたように息を漏らし、スマートフォンを数秒操作。
「……」
画面には、小さな白いうさぎをおっかなびっくり触り、気を許した様子のそれをそうっと抱き上げると、大層嬉しそうに顔を輝かせ、へにゃりと笑う犬が写っていた。
「うわかっ……。はは。いやあさすがですね礼光さん、丁度釣り合うようなブツを持ってるなんて」
「妙な言い方をするな。
叢雲。前から聞こうと思っていたが、このやり取りはなんだ」
「えー、言うなら相互監視とか?」
澄みきった月が冴え冴えと耀く冬の夜のテラスに、凍てつく風が吹く。
「……必要か?」
「勿論。お互いの穏やかな片思い生活のために必要でしょ」
「そんなものを送っている覚えはない。何が片思い生活だ、今日び高校生でもまだマシな色恋をするだろうよ」
「ブーメラン投げんの上手いですね」
「わざわざ当たりに来たのはそちらだろう」

開けられた袋からスルメを引き出して齧る。旨い。
「オレスルメ好きなんですよね〜。味があって。
……焼いてもいいし、柔らかく煮てクタクタにしてもいい。」
「そうだな。……太陽の下で、旨味が凝縮している」
いいですよね〜とニコニコ笑いながら足を引っ張り出し、煙草用に持ち歩いている海外製の金属ライターで軽く炙る。
「海外モノか。大分珍しくなったな」
「百円ライターやら電子ライターやらも試しましたけど、やっぱ紙吸うならコレなんですよね〜。音もいいし。」
カシャリ、カチン、と蓋を開け閉めして手元でもてあそぶ。
「ま、音するからシゴトには持って行けないんですけど。こういう時に使ってやらないとね。
ていうか礼光さん紙『は』吸わないって言ってましたよね。水とか葉巻とかですか?」
「よく覚えているな。……煙管だ。ただ道具が嵩張るからな、こちらに持ってきていない。」
へーと生返事でイカを炙る烏。既に興味は失せているのだろう。
「そうだ話全然変わるんですけど。
礼光さんさ、もう少し可愛い犬に優しくしたらどーです?お二人ってそこそこ長いんですよね?」
「初手を間違えたと言ったはずだが」
「なら挽回すればいいじゃないですか。こないだいいキッカケあったんだし。
こういうのオレが言うのもアレですけど、お家同士の仲とかあるでしょ。次期当主同士が会う度犬も食わない喧嘩すんのもどーかと思いますよ?」
「案ずるな、家の集まりでは俺も馬鹿も外行きの面をして一見仲良く見えるよう最低限の会話に留めている」
「それできてて仲よくないとか言うのも割と不思議なんですけどね」
阿吽の呼吸と言えば聞こえがいいのだろうが、腐れ縁をやっているせいで互いの動きを掴んでいるだけだ。
「まあただ、……前よりは、マシになってはいるか」
「確かに〜。こないだの特番も良かったですよね」
「…………」
つまり自分も見られたということ。くいと酒を飲み干しそのまま手酌する。
「おーなかなかの飲みっぷり」
「黙れ。……その日は仕事だと言ってなかったか」
「やだな〜、これでもオレあの人の大ファンなんですよ?見逃し配信でバッチリチェックしてますって」
「ああ、そんな設定だったな」
うきうきとツマミの袋を新しく開ける烏の手元を見る。
「今でも雑誌は買っているのか?」
「勿論。つか前よりものすごく人気出たじゃないですか、結構大変なんですよ」
「買うのがか」
「ええ、予約で売り切れることも結構あって。しかも本屋やネットショップ毎に特典ついてきたりもするんで、なかなか」
「特典…この間アニメ系の雑誌を久楽間と木ノ内が朝から買いに走っていたな。そういうものか。」
袋から海鮮せんべいをまとめて数枚取り、
「最近はそうですね〜、撮り下ろしのブロマイドとか、その時コラボしてるスキンケアのお試しセットとか色々あって。」
ばりばりと一気に食べ、酒で流し込む。行儀がいいわけがないが、そんなものをこんな飲んだくれの集まりで気にする奴は存在しない。
「……最近の雑誌の値段を考えると随分高く付くな。敢えて聞くが」
「勿論経費出して貰ってますよ。大ファンって設定にしたのはオレですけど、それを通したのは向こうなんで。」
流石だな、とくつくつ笑ってまた酒を呷る。
「……そう買うと、嵩張るだろう」
「まね。まあ、
……重いのも嵩張るのも、それに関しては、そこまでキライじゃあないんで」
冷たく切るような風が、酒で温まったふたりの身体を冷やす。
「方針を変えたのか」
「別に変えてませんよ。重たくて嵩張るのは変わらず御免ですけど、ものによる……要は、気分次第で持ってやってもいい、ってだけです」
大鹿はそうか、と口角を上げ酒を呷り、
烏はそうです、と目を細めてスルメを齧る。
「良い月だな」
「ええ、ホントに」
時たま吹く冷えきった冬の風を特に気にすることもなく、鹿と烏の飲み会は続いていった。