ラブホと首輪とオレたち

draft

ラブホと首輪とオレたち

ある日のこと。
「なっ、なあ、添。今ならまだ間に合うし」
「いやでーす」
困り顔の練牙の提案を最後まで聞くことなく添は断った。
「まだ途中だったろ!」
「どうせ『普通にしよう』みたいなことでしょ。いやです」
「どうせって言うな!……まあ、そうだけど」
ほら、と添は薄く笑う。いつも優しい薄色の瞳が、今日は凍っているような冷たさを感じ、練牙は軽く身震いする。
「でも...その、添だって変だって思わねえか?こ、こんな、」
「素っ裸に犬耳と首輪つけて?」
いつもの軽い笑み顔にうっすらと軽蔑を混ぜ、添は手中のリードを軽く握り直す。かちゃん、という軽い金属音が二人の間に響いた。
「うぅ……」
「大丈夫です、かわいいですよ練牙さん」
犬みたいで。
そう言葉を投げかけてくる添は、いつもの優しくてキラキラしている添とはまるで別人のようで。
「(なんで、こんな……)」
練牙はただ不安げに目をうろうろさせるしかなかった。



ことの始まりは、添が練牙との待ち合わせに遅れた時のことだった。
面倒な女に逆ナンされたりシゴトの連絡が来たりと妙に立て込み、いつもなら五分前についている待ち合わせ場所に三分も遅れてしまっていた。
「(あーめんど。人の貴重な休みに絡んでくんな)」
添は心の中で舌打ちしながら、不安そうにしているだろう犬、もといトモダチの元へ急ぐ。大学の用事が長引いてとかいえばどうにかなるだろうが、余計な不安なんて抱かせない方が、安全だ。自分を信じていればいい、という今の状態は添にとってとても都合のいい状態なのだから、それをいたずらに崩すようなことはしなくてもいい。
どの言い訳が一番効果的かを考えながら青になった信号を足早に渡ると、赤い髪にサングラス、全身Copcという、存在感という概念がそのまま人間になったようなトモダチがファンらしきモブに囲まれて眉を下げていた。サングラスで隠れてはいるが、いつもの情けない困り顔をしているのが少し離れた添の居場所でも十分伝わってくる。
「……から、そういうのは……」
ここで颯爽と助けてやれば遅れた分はチャラになるし、今日の行動のイニシアチブも取りやすい。添は気配を消してそうっと近づいていく。
「…んなこと言わず……、ほんの……分で……」
近づくにつれ雲行きが怪しい言葉が聞こえてきた。ファンにサインや写真でもねだられているのかと思ったのだが、そんなにお行儀のいいモブではなかったようだ。確かに彼のファンは練牙がNGを出せばそのまま引き下がってくれる行儀のいいものばかりだったな、といつかのデートの時を思い出す。自分のファン、というか元カノにも見習ってほしいねと添は己の言動行動を棚に上げて更に距離を詰める。
「ね、キミみたいな華のある人絶対売れるから!ほんの数分時間もらって、そしたら帰るからさあ」
「(は?まさかこいつら西園練牙だって気づいてないの?HAMAに来てるのに?すぐそこに広告も出てるのに?嘘でしょ)」
ただのそっくりさんだとでも思っているのか(ある意味間違ってはいないが)、男どもは練牙にしつこく言い寄っている。今時珍しい、悪い意味で古風な、というか普通に違法なスカウトだ。添はその様子を周りの興味深そうに撮っている群衆に混ざって動画を数秒回して社長の個別Pechatに短いメッセをつけて送る。
『練牙さん変なやつにスカウトで絡まれてる』
秒で怒りスタンプが飛んできた。
『どこの奴か分かり次第所属事務所なり会社なりに抗議させてもらう』
『あざす』
返事もそこそこにスマホをポケットに滑り込ませて更に近づく。
「だ、だめなんだ!ていうか!仕事なら事務所に話を通して……」
「(うわ距離近)」
困り顔の犬とほぼ距離がないモブのその様は添をいたく不機嫌にさせた。きれいに手入れされている自分の飼い犬が汚い手でベタベタと触られ手垢を付けられているような。
「うんうんわかるわかる。不安だよね〜。大丈夫、事務所にも保護者さんにもね、伝えておくから」
「何を伝えるんです?」
「へ」
獲物を狩るヒョウのように牙を剥き出しにしながら声をかけ、硬直した隙に練牙と不愉快なモブの間に入りこむ。その隙に尻ポケットに入っていた名刺入れをスリとる。これも社長への追加報告に使おう。
「すみません練牙さん、遅くなっちゃって」
「あ、て、添……」
「れん、が……?え!あのセレブタレントの西園練牙?!」
「は?マジで気づいてなかった感じ?」
「え……オレ、そんなに知られてないのか……?」
犬の耳が下がる気配がし、添の機嫌は地にめり込んでいく。なんでそんな不安そうなんだよ。オレが来てやったのに。
「そんなことないですよ練牙さん、偶然です」
「で、でもこの方々スカウトで……それに知られてないって、そういう事なんじゃないのか……」
「まだまだ有名になれるってことですよ、ほら、今知ってもらえたでしょ」
モブのことなんてどうでも良くなった。犬の不安を解消する方が優先度は高い。動画と名刺は礼光や主任、コンダクターにも送ることにした。社長から共有されるだろうが、HAMAで違法スカウトが横行している、しかもHAMAツアーズのメンバーが被害にあったとつければ即座に動いてくれるだろうし、と添はモブを徹底的に潰す方策を頭の片隅で回す。
「そう、か……?」
「そうだよ練牙!練牙はもっとでっかくなれるよ!」
「自信持って練牙!」
不安そうに見守っていた練牙のファンたちがここぞとばかりに応援の声をかける。本当にいいファンたちだ。
「そ、そうか……そう、だな!」
「そーですよ」
垂れた耳が元に戻ったのを感じ取る。
「ほら、早く行きましょ。今日服見るって言ってましたよね」
「あ!お店閉まっちまうな……急ごうぜ!皆、ありがとな!」
ファンにお礼を言いながらショッピングモールの方に練牙が足を向けた隙に添はモブの耳元に口を寄せる。
「0区長からの抗議、心待ちにしときなよ」
「ひ……」
後ろからあいつ添と距離近くない?という聞き覚えのある三人衆の声が聞こえてきたので直接の脅しはそこそこに群衆をすり抜け練牙の方へ向かった。



「なんか、ごめんな…せっかくのお休みなのに、変なことに巻き込んじまって」
「練牙さんは何も悪くないじゃないですか」
「でも……」
さっきのファンたちへの笑顔はどこへやら。犬はまた眉を下げて尻尾を垂らしている。オレが助けてやったのに、というあまり解剖したくないドロドロが胸にせり上がってきて、気持ち悪い。
「練牙さんなんでも自分のせいにしすぎですよ。さっきのは当たり屋みたいなもんじゃないですか」
「で、でも」
「それ言うならオレが約束に遅れなければ練牙さんがあんな目に合わなくて済んだ、ってことになりません?」
「そんなことない!添はオレのこと助けてくれて……!」
「でしょ?だからいいんですって気にしなくて」
添からすればこんな話はとっとと切り上げたかった。あんな汚らわしい奴らのことを犬の頭から消し去ってやりたかったのに、犬はぐじぐじと蒸し返してくる。その苛立ちは「オレが今いるのに」という『思い』が自分の中に居場所を作っているのを目の当たりにさせてくる。
誰かに、しかも犬なんかに執着なんてしていないはずなのに。自分の既存認識と現在が矛盾で悲鳴を上げている。しかし添はそれを認めないし、認められるわけもない。二曲輪(じぶん)は執着なんて持っていないのだから。
「……添、やっぱりちょっと怒ってる、よな」
「怒ってはいないですよ」
事実だ。ただ馬鹿犬にイラついているだけで、『怒り』という感情ではない。
「な、なあ添」
「さっきの話出さないでくださいね」
先手を取ってやるとあう、とかうう、とか情けない声でオロオロする。その様自体は愉快だ。明らかに自分の嫌う面倒な女のようなことを言っているのだが、添はもちろん認めない。
「え、ええと……」
添が練牙の前でこのような態度を取るのは初めてだった。いつも穏やかに優しくアメをやり、時には近づきすぎた距離を咎めるようにムチで躾ける程度だった。そのため練牙にはこのような時どうすればいいかわからない。おそらく自分が悪いのだが、どう添に謝ればいいのか。練牙はぐるぐると考えた結果、
「て、添……機嫌直してくれ、ないか?……オレ、なんでもするから……」
「……はは」
よくない方の択を取ってしまった。



そうして、ーー現在に至る。
「そもそもなんでもするって言ったの練牙さんじゃないですか。まさかこんなのじゃなかった、とか言って反故にするつもりです?」
「っ違!オレは、本当に添のために」
「じゃあそのまま犬になっててください。オレは犬の練牙さんで楽しませてもらうんで」
「?」
案の定よくわかっていなさそうに首を傾げる犬に笑みを作り、添はくいとリードと引っ張る。
「ぅわ」
「ていうかオレと一緒に『こんな場所』に来たんだから。……今からナニするかくらい分かりません?」
「え……。……あ、あっ!」
せせら笑ってやるとようやく顔を真っ赤にした。一応身体を数度重ねているにも関わらずなんとも色気も自覚も足りないリアクションだが、それはこれから叩き込んでやればいい。
「時間いっぱい遊びましょーね、犬の練牙さん」
ぱちぱちと目を瞬かせたり真っ赤になって俯いたりと忙しいリードを付けた犬を、添はニコニコと見やっていた。